

江戸時代、松尾芭蕉はこの地を拠点に新しい俳諧活動を展開し、多くの名句や紀行文を残しています。特に「おくのほそ道」の出発地ということもあり、ずっと気になっていたのですが、ようやく足を運ぶことができました。
門人の曽良と共に旅に出たのは1689年(元禄2年)の旧暦3月27日のことです。新暦では5月16日にあたります。
展示室はこじんまりとした規模で、落ち着いた雰囲気でした。芭蕉および関連する人物の当時出版された作品が数多く展示されていました。年月を経た紙の質感や色合いから時の流れを感じました。
見学をして勉強になったのは以下の3点です。
・弥生も末の七日~の章で「千住というところにて船を上がれば」という箇所があります。どこから乗船したのかな、と疑問に思っていましたが、出発地の深川からでした。最終章の大垣でも船に乗る場面で締めくくられているので、深い意味合いを持つことを示唆しています。
・「矢立の初めとして」の矢立とは、筆や硯などを携帯できる筆記用具のことで江戸時代には一般的に使用されていました。この意味が発展して旅の日記の書きはじめを表わしています。
・芭蕉庵小文庫(元禄9年出版)という作品中に「人の短をいうこと無かれ、己が長を説くこと無かれ」という芭蕉の座右の銘が記されていることを知りました。芭蕉の人間性の深さを改めて感じました。
記念館を後にして隅田川沿いの歩道を200mほど進むと展望庭園があります。ここに芭蕉像が設置されています。
この日は天気が良く、隅田川の川面が太陽の光に照らされてキラキラ輝いていました。芭蕉さんの姿には奥深い趣が漂っています。しばらく景色を眺めていたら、時折観光船(水上バス)が行き来していました。
また、すぐ近くにある芭蕉稲荷神社も参拝しました。
これからも時間をかけて少しずつ芭蕉の足跡を辿ってみたいと思います。