kongitsune’s diary

県道走行、名所旧跡訪問などの記録

潟沼

山刀伐峠に向かう途中、鳴子温泉にある潟沼(かたぬま)を見学しに行きました。

2024/6/8

潟沼は鳴子火山の火山湖と考えられる湖です。「続日本後記」には承知4年(837)に当地方の火山活動の報告が記されており、それから推測し、今から約1100年前に出現したものと考えられています。日本有数の強酸性の湖で、湖面の色が天候によってスカイブルーやエメラルドグリーンなどに変化することも特長です。

周辺では硫黄の匂いが漂っていました。湖畔から少し離れたところにトイレがあるのですが、手洗い用の水道の蛇口が黒く錆びついていました。硫黄と鉄が化合反応して硫化鉄となっているのだと思います。また付近には硫黄が析出している箇所がありました。時間とともに少しずつ隆起しているのか、アスファルトがボコボコになっていました。

ところで近くにはクレー射撃場があります。時折ライフル射撃の音が聞こえてきました。周辺が山に囲まれているので射撃時の音がこだまして、しばらく続いていました。

思い出

潟沼は今回で2回目です。最初に訪れたのは今から11年前の2013年のことでした。湖を囲んでいる山の一つに胡桃ヶ岳(標高461.4m)があります。友人のF氏と登山するために訪れました。

2013/7/28

小さい山なので約30分ほどで頂上に着きます。上の写真は山頂からの眺めです。草木が生い茂っていて展望はあまりよくなかったと記憶しています。写真を見返して正面にスキーのジャンプ台跡が映っていることに気付きました。

下山後、潟沼を一周しました。

レストハウスの対岸からの眺めです。正面が胡桃ヶ岳です。この時は確かにエメラルドグリーンのような色をしていました。

 

山刀伐峠

昨日、天気が良かったので山形県の最上町と尾花沢市の県境をまたぐ山刀伐(なたぎり)峠を散策してきました。 

「おくのほそ道」に記述がある峠で、以前からずっと気になっていました。しかしながら峠の名前が不気味な上、芭蕉達は大変な思いをして峠を越えたと記述しているので、少し敬遠する気持ちもありました。

 

峠道は南北に延びていますが、芭蕉と同様南下するルートをとりました。国道47号から県道28号に入り、しばらく走行します。トンネルが見えたら、その手前にある広場が峠入口です。頂上には旧道を車で上ってゆく方法、実際に芭蕉が辿ったとされる山道を徒歩で上ってゆく方法の2通りあります。迷わず後者を選びました。念のため登山シューズに履き替えて出発しました。上の写真は入口の様子です。説明板や標柱が設置されています。英語版もありました。海外から訪れる人もいるのでしょう。

説明板に道案内図が載っていました(細かい事ですが、GIMPという画像編集ソフトを使って真正面から見たように補正しました)。旧道はつづら折りとなっており険しさを感じます。昭和52年に山刀伐トンネルが開通するまでこの道を通らざるを得ませんでした。登山道は直登するルートとなっています。

登山道は整備されているので非常に助かります。しかしながら急斜面もあるので注意が必要です。

途中、木々の合間から北西方向を遠望できるスポットがありました。

頂上付近に到着しました。ここ付近が最上町と尾花沢市の境界です。左側の建物がトイレ、右側が「芭蕉庵」という名称の休憩所です。

ここから山道に再び入って少し進むと山刀伐峠顕彰碑(先頭の写真)、子持ち杉、子宝地蔵尊があります。地蔵尊の扉には鍵がかかっていませんでしたので、お参りできました。賽銭箱も中にありました。

この後、峠を下って県道合流地点を目指します。

下りの勾配は緩やかで、登りの時とは対照的でした。

杉林や草の生い茂った植生の異なる道を交互に抜けてゆきます。変化に富んでいて飽きさせません。

ゴールに向かう途中に気づいた点を4つ挙げます。

(1)途中、小さな沢を渡りました。1.5~2m程度の丸太の橋が架けられており、脇に「山伏澤橋 28.5.24」という木札が置かれていました。おくのほそ道の「水を渡り」はここを指しているのかな、と想像しました。

(2)「鍋割の三吉茶屋跡」と書かれた木札を見かけました。江戸時代に休憩所として、ここに茶屋が存在していたのでしょうか?

(3)途中、舗装された旧道を歩く区間がありました。道脇には耕作放棄された水田がありました。雑草がかなり生い茂っておりかなりの年数が経っているようでした。今後人口減少や担い手不足などにより、水田面積は徐々に少なくなってゆくのでしょうか。

(4)ゴール手前に馬頭観世音の石碑がありました。江戸時代、馬を使って荷物を運んでいただろうことを伺わせます。こんなに狭い道を通っていたとすれば、大変だったことと思います。

ようやく県道合流地点にたどり着きました。実は峠の頂上で引き返すかどうか迷ったのですが、ここまで来て正解でした。小川のほとりで昼食もかねて休憩しました。せせらぎの音で疲れが癒されました。

 


この地域の上空は飛行ルートとなっているのでしょうか、飛行機雲を良く見かけました。付近にはマーガレットが群生していました。休憩後、同じ道を引き返してスタート地点に戻りました。

おくのほそ道では「高山森々として一鳥声聞かず」とあります。今日歩いてみたところ、鳥や虫の鳴き声で賑やかでした。また茂みの中でゴソゴソと動く音も何度も聞きました。芭蕉が峠を越えたのは元禄2年5月17日(陽暦7月3日)なので時期的にも近いのですが、事前の印象とはだいぶ異なっていました。

また、道案内してくれた男性は「この道必ず不用のことあり」と云っていました。山賊を意味しているのだと思います。山越えが終わったあと、この話を聞かされて「胸とどろくのみなり」と胸の鼓動が収まらない様子を書き記しました。

現代だと熊に相当するでしょうか。入口に釣り人が町内の河川で熊に襲われた、という注意書きが貼ってあったので多少不安に思いながら歩きましたが、遭遇しなかったのは幸いでした。

このあと芭蕉曽良は尾花沢の鈴木清風を訪ね、一転して心安らかな日々を過ごしました。鳴子から山刀伐峠に続く苦労や困難は一つの山場だったと言えます。

 

遠見塚古墳

昨日、仙台市若林区にある遠見塚古墳を訪れました。

古墳は国道4号線仙台パイパス沿いにあります。公園として整備されていて自由に見学できます。写真の通り案内の看板が設置されているものの、駐車場はありませんので注意が必要です。

前方後円墳のタイプで全長110mあります。写真左側が後円部で径63m高さ6.5m、右側が前方部で長さが47mあります。古墳の形状、構造、出土遺物から4世紀末~5世紀初め頃の墳墓と考えられています。

「オイデ、オイデ」と囁かれているような気がして、後円部を登ります。

頂上は平らで広々としていました。住宅街の中にあるので眺望はあまり望めません。西の方角に目をやると建物や木々の隙間から市中心部のビル群、泉ヶ岳などの山々を確認できました。東の方角も同様でした。もしかしたら太平洋が望めるのではないかと期待していましたが、残念ながらかないませんでした。しかしながら当時は相当見晴らしが良かったのではないでしょうか。

重機などが無い時代、これだけの規模のものをよく造ったものだと感心します。当時の支配者の地位と権力を誇示するシンボルとしての役割を果たしていることが想像されます。個人的にはパワースポットのような気がしています。

この季節は古墳全体が草で覆われていてモコモコした印象です。ムラサキツメクサがたくさん花を咲かせています。子どもの遊び場、散歩など憩いの場として親しまれています。

 

162 西古川停車場下狼塚線

JR陸羽東線 西古川駅と国道347号を結ぶ、実延長約0.8Kmの一般県道でした。過去形なのは2019年3月の県道統廃合により、163号西古川停車場清水線と統合して清水下狼塚線となったためです。ここでは旧路線名として進めます。

初めて訪れたのは2011年のことでした。国道347号との交差点が県道入口で、交差点角にはセブンイレブンがあります。入るとすぐにヘキサがあります。

2011/10/30

駅まで0.8Km、、、比較的短い県道です。

 

それから13年後の2024年に再訪しました(汗)。

2024/5/12

西古川駅前でヘキサを発見したので撮影しました。路線名は更新されていませんでした。

標識の通り本路線は加美町古川市をまたいでいます。「みやぎの道路」によると加美町区間が166m、古川市が626.8mでした。

西古川駅の駅舎です。

駅前の道路です。直線状に延びており、最初の交差点までの道幅が広いのが印象に残りました。

駅前に設置されている看板を眺めていたら、「仙台鉄道(廃線)」というワードが目に留まりました。かつて仙台の通町から富谷、吉岡、中新田を経由して西古川駅に至る鉄道です。1922年に開業し、1960年に廃止となりました。以前に書籍やネットでその存在をおぼろげながら記憶していましたが、西古川駅が終点だったことを初めて知りました。なお当時の駅名は中新田駅で、廃止前の1957年に西古川駅に改称されたそうです。中新田といえば国道457号と347号が交差する付近を連想してしまいます。中新田駅と言われてもあまりピンときません。いずれにしても当時は2つの路線が乗り入れていたので駅周辺は賑わっていたのではないかと推測されます。

 

日和山(石巻)

先日、久しぶりに石巻市日和山を訪れました。これまでに何度か訪れたことがあるので、時系列順に写真を並べてみます。

2007/6/2

2008/7/5

2014/6/7

2024/5/19

震災前後で眺めがだいぶ変わりました。印象に残るのは次の3点です。

1つ目が日和大橋です。1979年に有料道路として供用が開始され、2000年に無料開放されました。その後、震災を経て現在宮城県道240号石巻女川線として現在も重要な役割を担っています。

2つ目は手前に見える太陽光パネルです。日和山から撮影すると、高い確率で写真に映り込みます。夜間の照明用なのでしょうか。

3つ目は新しくできた「石巻かわみなと大橋」です。令和4年3月30日に開通しました。日和大橋の約500m手前に架かっていて存在感を示しています。先日この景色を目にしてとても驚きました。

 

その後、公園内に建立されている芭蕉曽良の像とご対面。約300年前に二人が訪れた地に立ち、感慨もひとしおです。奥のほそ道には直接日和山に登ったという記述はありません。しかしながら「石巻の湾内には数百の運送船が停泊し、人家は密集して、炊事の煙が絶え間なく立ちのぼっていた」という文章から、明らかに見晴らしの良い場所から眺めていることは一目瞭然です。曽良随行日記の記述が決定打となっています。