今から1年以上前、2025年3月のとある休日。この日は名取川を散策しました。

仙台市太白区の山田から富沢方面へ向けて名取川左岸を土手沿いに歩きました。脇には仙台南部道路があります。南部道路を車で走っていると、この土手が視界に入り、散歩やジョギングしている人を見かけることがあります。今回は逆の立場になりました。
地図を改めて見ると、
・地図左上の「船渡前」という地名(山田ICの右側に表示)。昔、橋が架かる前は船による渡しがあったことがうかがえます。
・地図の南側の「熊野神社」。調べてみると、保安4年(1123年)に名取の老女によって勧請された名取熊野三社の一つでした。これまで全く意識していませんでしたが、今更ながら霊験あらたかなる地域であることを認識しました。

ここからが本題です。歩いていると、土手の脇に石碑が建っているのを目にしました。地図上の赤色の矢印で示した場所です。

正面には「東宮殿下御野立所」と刻まれています。

裏面には「明治44年5月22日」と刻まれています。
御野立所とは、天皇や皇太子などの皇族が行幸・行啓の際に、景色を眺めたり休憩のために立ち寄られた場所のことです。こうした場所には、その訪問を記念して石碑が建てられることがあります。
東宮殿下とは皇太子のことを指しています。日付から、この場所には大正天皇となられる前の皇太子が訪れていたことが分かります。
調べてみると、明治44年(1911年)4月に宮城県を行啓されていたことが分かりました。この月に七北田で大規模な軍事演習が行われました。殿下は村内を一望に見渡せる肩掛山に登られ、この演習を視察されました。
記念碑の日付は翌月となっているので、お立ち寄りになられた日付そのものではなく、建立された日付なのだろうと推測しています。
ここで疑問が湧いてきます。当時、奥州街道は主要な街道として整備されているはずです。それにも関わらず、なぜ街道から外れた西側のこの場所に立ち寄られたのだろうか、という点です。
4月の行啓では、三神峯公園(当時の仙台陸軍幼年学校)も訪れていましたが、それと関係するのでしょうか。
一つの可能性として、江戸時代に奥州街道が整備される以前に利用されていた、「東街道」と呼ばれる古道を利用し、この場所で名取川を渡ったのではないかと考えました。あくまでも私の推測です。記録が残っていればうれしいのですが、、、
ところで、明治44年の大正天皇(当時は皇太子)のその他の主な行啓日程は次の通りです。
5月 千葉
6月 静岡
8-9月 北海道
11月 兵庫、大阪
全国各地を巡られており、その多忙ぶりには驚かされます。翌年7月に明治天皇が崩御され、大正天皇が即位されました。34歳の時のことです。

記念碑を後にして、少し進むと南部道路をまたぐ歩道橋が見えてきます。その奥には仙台市地下鉄の車両基地が広がっています。南部道路は何度も利用しているため見慣れた光景となっていますが、このように外側からの眺めはとても新鮮です。そのすぐ脇に、このような歴史を伝える記念碑がひっそりと建っていたとは思いもよりませんでした。