kongitsune’s diary

県道走行、名所旧跡訪問などの記録

143 多賀城停車場線

2011/11/05

JR仙石線 多賀城駅と国道45号を結ぶ、実延長約260mの一般県道です。

2022/06/26

駅舎は古代東北地方の政治の中心だった多賀城政庁をモチーフにしていることが見てとれます。

多賀城政庁はJR東北本線 国府多賀城駅の北西約800mにある丘陵に位置し、東西約100m・南北約120mの築地によって区画され、東西南北に門があったとされています。奈良時代には対蝦夷の軍事拠点、鎮守府も置かれていました。発掘調査の成果から721年前後から造営が始まり、10世紀半ば頃にその機能を失ったと考えられています。[宮城の歴史散歩(山川出版社)より]

駅南口のすぐそばには砂押川が流れています。

駅前広場を出たら八幡(やはた)橋を渡ります。道なりに進み、歩道橋のある国道45号との交差点に出たところが終点です。国道45号は幹線道路ということもあり交通量は非常に多いです。

以上で県道散策は終了ですが、せっかくなので周辺を散策しました。

鎮守橋

八幡橋の隣(砂押川上流約200m)に鎮守橋という橋あります。中央に説明板が取り付けられているのを見つけました。一部抜粋します。

留ヶ谷八幡沖線・鎮守橋の沿革

この都市計画道路留ヶ谷八幡沖線(市道東田中八幡線)は、昭和17年に海軍工廠建設に伴い機銃部(現工場地帯)及び火工部(現丸山地区)と旭ヶ岡地区に建設された男子工員宿舎等を結ぶ主要道路として、横須賀海軍建築部多賀城工事事務所によって築造され開通し、その後、交通量の増加や米軍の駐留等に対応して数次にわたり拡幅工事が行われました。(以下略)

戦時中、多賀城に海軍の軍事工場が設置されていたという事実を初めて知りました。その面積は市域の4分の1にもおよぶ広大なものだったとの事です。このような事態が二度と起こらないことを願うばかりです。

末の松山・興井

末の松山

多賀城駅から徒歩で約10分のところに景勝地(末の松山、興井)があります。松尾芭蕉が訪れた地として知られています。

末の松山では立派なクロマツがそびえています。推定樹齢は約480年のようです。芭蕉が訪れたのは今から333年前(=2022年-1689年)なので、同じクロマツを目にしていることになります。

クロマツの周辺でカラスが2羽飛び回っており、ひっきりなしに鳴き続けていました。警戒、威嚇しているように聞こえました。見学を終えて離れたら次第に収まってゆきました。

興井

興井は末の松山からすぐ近くにあります。末の松山でもそうでしたが「古今和歌集」などで詠まれた歌枕ゆかりの地です。