kongitsune’s diary

県道走行、名所旧跡訪問などの記録

60 鹿島台鳴瀬線

大崎市鹿島台から東松島市野蒜を結ぶ実延長9.3Kmの主要地方道です。主に吉田川右岸の堤防沿いのルートをとっています。途中、国道45号と重複する区間もあります。

初回訪問

初めて走行したのは2011年2月のことでした。

2011/2/6

鹿島台木間塚に設置されているヘキサ標識です。当時、堤防脇では工事が行われていました。道幅は狭く、すれ違い時に多少気を使うので苦手意識を感じ、その後走行する機会はありませんでした。

再訪

それから13年後(2024年3月)、ふと思い立って再走行しました。理由は自分でも分かりません。堤防上の道をゆっくり走っていたら、後ろから来た車にあっという間に追いつかれました。歩く速さが人それぞれ違うように運転の速度感覚も違うのでしょうが、どのように培われてゆくのだろうと思いました。

2024/3/16

前回撮影時と同じ標識を見つけました。右上の方にキズが付いていました。トラックの荷台からはみ出した積載物がぶつかったのでしょうか。

 

こちらが鳴瀬町川下の国道45号線との交差点です。現在押しボタン式の信号機が設置されてますが、以前は無かったように記憶しています。前方先には吉田川・鳴瀬川に架かる三陸自動車の鳴瀬奥松島大橋が見えます。交差点右側では国道45号の嵩上げ工事(川下地区道路改良工事)が行われていました。大雨による路面冠水対策を目的とし、まず国道脇に切廻し道路を築造するところから進められていました。

野蒜街道

順番は前後しますが、鹿島台バイパス付近で東北本線の踏切を渡りました。踏切の名称は「野蒜街道第1踏切」です。野蒜街道とは明治期に野蒜築港の事業に合わせて整備された道路のようです。国立国会図書館デジタルコレクションで検索してみたところ、「宮城縣縣治一斑 第30回(大正3年)」(宮城縣、1915.10発行)に載っていました。白書のような発行物で、県内の天候の記録や社会経済農業等の実状がまとめられています。野蒜街道は交通及運輸部の街道里程の欄に「志田郡古川ヨリ桃生郡野蒜に通ス 里程八.〇三」と記載されていました。

この県道と当時の野蒜街道のルートは重なっているのでしょうか。もしそうだとしたら一般県道ではなく主要地方道に指定されるのは当然かもしれません。

ところで、以前に大崎氏松山にある「野蒜街道開通の碑」を見学した事を思い出しました。点が繋がり少し理解が深まりました。

ちなみに宮城縣縣治一斑の同じ欄には利府街道、笹谷街道、作並街道、二口街道など現在もなじみのある街道名が載っていました。