kongitsune’s diary

県道走行、名所旧跡訪問などの記録

田束山

昨日は天気が良かったので田束山へ行ってきました。ツツジの名所と知られており、頂上付近まで車で行くことができます。

三陸自動車道の歌津ICを降りた後、県道236号に入ります。

 

ほどなくしてツツジの花が描かれた標識が現われます。ポールには標高(12m)と、この地点まで津波が到達したことを示すシールが貼られていました。田束山の標高は512mなので、この地点から500m登ることになります。

 

伊里前川に沿った道をしばらく走り、払川ダムの管理事務所を少し過ぎたところで右折します。そこから曲がりくねった急な坂道を登ってゆきます。二車線なので路幅は問題はありませんでしたが、道は古びた様子でした。中央には飛び出し防止のための金属製のブロックが設置されていました。脇のデニリエータには「歌津町」と記載されていました。

 

トイレ脇の駐車スペースに車を停めて、そこから徒歩で山頂を目指しました。5~6分ほどの距離なのですが、日ごろの運動不足もあり息がすぐに切れてしまいました。

広場に到着しました。海岸線と青い空を一望できます。その眺望に思わず息を飲みました。承和年間(834-848)に天台密教修験道場として開かれ、平安時代末期には藤原秀衡の帰依を受けて繁栄した、とされています。また平安時代末期に築造されたと考えられている経塚群も残っています。素人ながら、この景色を目にすると何か人知を超えたようなものを感じずにはいられません。いにしえより霊山として栄えていた理由は分かるような気がします。

 

そこからさらに進むと山頂です。ツツジが咲き誇るシーズンにも訪れてみたいものです。

 

北の方角も望むことができます。陸前小泉地区が眼下に広がり、その先に目を向けると気仙沼地区も眺望できます。本州と気仙沼大島を結ぶ気仙沼大島大橋(長さ297m)も確認できました。直線距離にして約19Kmありますが、はっきりと見えます。

 

散策中、赤色の木の実を見かけました。植物には不案内なので全くわかりません。

 

多少寒かったですが、リフレッシュできました。

 

一皇子宮 (石巻市)

2023/10/22

石巻市湊大門崎山に鎮座する一皇子宮にお参りに行きました。市街地から国道398号線に沿って東に進み、内海橋から約1Kmほどのところにあります。ここには後醍醐天皇の皇子である護良親王が祀られています。史実では鎌倉で亡くなったとされていますが、足利直義の部下である淵辺伊賀守義博の計らいにより密かに逃れ、この地に隠れ住んだという言い伝えがあります。付近には吉野町という南朝ゆかりの地名も残っています。

参拝時、正面扉の四角い小さな穴からお賽銭を入れたのですが、そこから中の様子をうかがってみました。正面には肖像画が掲げられていました。社殿はガラスブロック壁が取り入れられているので良く確認できました。

右側に植えられているシュロのような木からは南国風の趣も感じられます。

この間、福島県霊山神社へお参りに行ったのですが、石巻にも南北朝に関わる神社や史跡が残っていることを知り、興味が沸いて今回訪れたという次第です。当初勘違いしてしまったのですが、北畠顕家に護られて陸奥将軍府を治めた義良親王とは別人物でした。

 

 

尾ぶちの牧

この間、石巻市の牧山を散策しました。山頂の零羊崎神社から少し下った場所に見晴らしの良いスポットがあります。ここには「おくのほそ道 尾ぶちの牧」の記念碑が設置されていました。約300年前に石巻を訪れた芭蕉曾良は「袖の渡り、尾ぶちの牧、真野の萱原」をよそ目に見て、平泉を目指しました。

眼前には渡波の街並み、その先には牡鹿半島の山々が見渡せます。その壮大さに圧倒されました。

2023/10/22

万石橋(アーチ橋)が特に目立っています。

奥の方に見えるのは田代島です。

おくのほそ道 飯塚

角川ソフィア文庫の「おくのほそ道」を愛読しています。「飯塚」の章の以下の一説が気に入っています。

「遥かなる行末をかかえて、かかる病おぼつかなしといへど、

羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路に死なん、

これ天の命なりと、気力いささかとり直し、道縦横に踏んで、

伊達の大木戸を越す。」

 

飯塚温泉ではあやしき貧家で最悪の一夜を過ごしました。夜、雷が鳴り、雨漏りし、蚤や蚊に食われ、殆ど眠れなかったのだろうと想像できます。持病も持っていました。途中で旅を止める選択肢もあったかと思いますが、自分を奮い立たせ、身を捨てる覚悟で旅に臨む姿勢に非常に感銘を受けました。人生を旅に例えると同じように困難に出会うことがあります。健康であることに越したことはありませんが、病を抱えていても前に進むことができるのだ、という勇気も貰える気がしています。

 

鎧淵(広瀬川)

昨日の続きです。阿津賀志山防塁を突破した源頼朝率いる鎌倉軍は北進します。対する藤原泰衡の軍は鞭館(榴岡)に陣を構え、広瀬川の鎧淵(根岸)を前線として戦いが行われました。

宮沢橋の西側のたもとに標柱が設置されています。

2023/5/21

5月に訪れた時には標柱の周りには雑草が生い茂っていました。

2023/9/17

9月に再訪したところ、きちんと刈払いされていました。

傍らには許可標識が設置されていました。許可の期間は平成35年3月31日までと記載されています。西暦にすると2023年となり、既に期限を過ぎています。引き続き延長してほしいものです。

ところで宮沢橋の上流側隣に新たな橋(新宮沢橋)が架かる予定です。橋台や橋脚はできあがっていますが、完成まであと3年かかる見通しとのことです。