kongitsune’s diary

宮城県の県道、名所旧跡訪問などの記録

19 鹿島台高清水線

2011/06/19

大崎市鹿島台地区と栗原市高清水地区を結ぶ実延長約26Kmの主要地方道です。

旧松山町

起点は鹿島台小学校前の交差点です。交差点南側には大崎市鹿島台総合支所、北側には大崎市民病院 鹿島台分院があります。

スタートして暫く進むと旧松山町に出ます。現在は田園風景の広がる中を快適に走行できますが、かつては町の中心部を通っていました。朝夕の渋滞がひどかったため、かねてから住民よりバイパス建設の要望が上がっていました。そこで、平成4年に用地買収が始まりバイパス建設プロジェクトがスタートしました。平成9年3月26日に開通し、竹の花バイパス(通称コスモスロード、延長距離2160m)と呼ばれました。中心部を通っていたルートは廃止となり、このバイパスが現行路線になったようです。

少し脱線しますが、県道153号との交差点を左折した先に、かつて合羽坂隧道という名称のトンネルがありました。合羽坂は合羽関とも言われ、藩政期には町に入る関門でした。

時代は明治に代わり、政府は世界と通商を盛んにするため鳴瀬川河口の野蒜に築港工事を着手しました。この時、野蒜港から松山町を通り秋田県羽後方面に通じる道路も整備することになりました。当時、この合羽坂を越えるには急坂を昇り降りしなければならず、荷馬車の通行などを困難にしていました。そこで隧道建設の計画が立ち上がり、明治15年9月に県の認可が下りて工事が着工しました。明治18年8月に完成し、同年10月に開通式が開催されました。しかしながら明治35年に落盤。その後切り通しの道に改められました。現地には記念碑が建てられています。

野蒜街道開通の碑 2013/03/20

元の道に引き返し、県道を道なりに進みます。県道32号(古川松山線)、県道242号(大迫松山線)の交差点に出たら右折します。ほどなくすると鳴瀬川に架かる野田橋を渡ります。この橋は1907年(明治40年)に初めて架橋されました。それまでは渡し船で行き来していましたが、架橋に伴い廃止されました。現在の橋は昭和60年3月に整備されたものです。橋を渡り終えると美里町に入ります。

美里町

美里町は2006年に小牛田町南郷町が合併して発足しました。本路線のルートは旧小牛田町の区域に属しています。しばらくは町の中心部を北上します。この区間はJR小牛田駅の東側に位置しており、県道152号(涌谷三本木線)、212号(小牛田停車場線)と接続しています。陸羽東線の陸橋を超えると国道108号との交差点に出ます。その少し先に山神社(やまのかみしゃ)があります。安産・子授けの神様が祭られています。また、この神社に因んだ「山の神まんじゅう」が地元の名物として知られています。

山神社を過ぎると緩やかに左にカーブして江合川と並行するルートをとります。この区間は以前国道路線でした。道路幅は狭く、クランクも存在していたため大型自動車にとっては通過の難所となっていました。そのため集落南方の田園地帯にバイパスを建設することとなり、2001年に全線開通しました。

途中、「御蔵場」という地名の場所を通過します。江戸時代には舟運が発達していたので、収穫された米などを保管するための蔵があったことが推測されます。

少し先の交差点で右折し、遠田橋を渡ります。

田尻~高清水

大崎市田尻に入ると県道15号および175号と接続する交差点に出ます。左折して少し進むと正面に加茂神社が見えます。手前の曲がり角を過ぎた後、暫く道なりに進みます。高清水に入ると県道1号と合流し、この地点が終点となります。