kongitsune’s diary

県道走行、名所旧跡訪問などの記録

文治燈籠(塩釜神社)

2022年12月の日曜日の午後、宮城県塩釜市にある塩釜神社へお参りに行きました。塩釜は父親が生まれ育った土地なので、非常に馴染みがあります。

去年から「おくのほそ道」を読み始めたのですが、芭蕉塩釜神社を訪れていたことを知りました。下記の通り「文治燈籠」に触れていた箇所があったので、是非実物を目にしてみたいと思ったのがきっかけです。

神前に古き宝灯あり。鉄(かね)の扉の面(おもて)に「文治三年和泉三郎寄進」とあり。五百年来の俤(おもかげ)、今目の前に浮かびて、そぞろに珍し。

 

燈篭は拝殿前の右側に設置されていました。文治3年(1187)に藤原秀衡の三男である忠衡が寄進したとされる鉄製の燈篭です。

扉はそれぞれ太陽と月の形でくり抜かれています。左側には「文治三年七月十日和泉三郎忠衡敬白」と記されています。この2年後、兄の泰衡と対立し襲撃を受けることになります。父の遺言に従い、最後まで義経を守り抜こうとした忠衡を芭蕉は「勇義忠孝の士なり」と称えています。

当時、これだけ複雑な形状のものを製作するには相当高度な技術が必要です。司馬遼太郎の「街道をゆく 26巻」に”山上の塩釜神社には平安末期の鋳物の大灯籠があるという”、と文治燈籠に触れている箇所があります。奥州藤原氏は黄金の文化だけではなく、鉄冶金の面で先進的な、あるいは独立した文化を持っていたのではないかという見解を示しています。

燈篭の寄進から約800年、芭蕉の訪問から約300年経過しています。あまりの年月の長さに深い感慨を覚えました。