kongitsune’s diary

宮城県の県道、名所旧跡訪問などの記録

2 石巻鮎川線

2021/09/24

宮城県石巻市渡波町と鮎川地区を結ぶ、実延長約28Kmの主要地方道です。

渡波

石巻から国道398号を通って女川方面に進むと、JR石巻線 渡波駅前の交差点に出ます。ここが本県道の起点です。交差点を右折し、ほどなくすると万石橋を渡ります。橋を渡った直後、信号のあるT字交差点に出ます。ここを右折するとサン・ファン館(宮城県慶長施設船ミュージアム)に出ます。しばらく曲がりくねったアップダウンの道を進んでゆきます。

風越峠

以前は峠道を越える必要がありましたが、現在は風越トンネル(1998年3月完成,L=634m)があるのでだいぶ楽になりました。
石川啄木が「漂白の 人はかぞえぬ 風青き 越の峠に あしひ少女かな」と風越峠に触れた短歌を残しています。1908年(明治41年)に釧路から函館経由で海路上京する途中、荻浜に寄港。上陸して旅館で朝食をとった時に給仕をしてくれた少女と出会い、生まれた作品との事です。

折浜

風越トンネルを過ぎて少し走り、右に曲がる道に入ると折浜漁港に出ます。1868年(慶応4年)榎本武揚が江戸から函館へ向かう途中、艦隊を率いて集結した地でもあります。

月浦

しばらく走ると月浦に出ます。ここは1613年(慶長18年)に伊達政宗の命を受け、支倉常長ら慶長遣欧使節がローマを目指して木造洋式帆船(サン・ファン・バウティスタ)で出帆した地とされています。道路脇に支倉常長銅像が立っている展望スペースがあります。

脇道に入り、漁港まで降りていくと一角に「南蛮井戸」と呼ばれる井戸があります。サン・ファン・バウティスタの出帆準備をする際、南蛮人といわれた外国人が船に持ち込む水を汲み上げたと伝承されています。

奥の方には東郷平八郎が揮毫した記念碑があります。記念碑には「歐南使士 / 支倉六右衛門常長解纜地 / 伯爵 東郷平八郎 書」と書かれています。解纜とは航海に出ること・出帆を意味します。東郷は薩摩出身の藩士で薩英戦争やその後の戊辰戦争に従軍。イギリス留学も経験し、その後、明治時代の日本海軍の指揮官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献しました。 この記念碑は大正11年6月に小西九兵衛によって建立されました。裏面は漢文で記されているため解読は非常に困難です。読み取れた範囲では、当時の皇太子(昭和天皇)が大正10年3月3日から9月3日までの間、欧州を訪問した記述がなされており、これを記念して建立されたものと推測されます。

荻浜

ここには現代彫刻家・名和晃平さんの作品である白い鹿のオブジェがあります。Reborn Art Festivalのシンボル的作品となっています。空を見上げた姿は雄大で、力強い生命力を感じさせます。荻浜港から徒歩で7分ほどの場所にあります。敷地の奥には建物があり、2021年にオンエアされた草彅剛主演のNHKドラマ「ペペロンチーノ」のロケ地となりました。

荻浜を後にし、小積浜漁港を過ぎると2つ目のトンネル(新小積トンネル,1988年3月完成,L=470m)を抜けます。

清崎

鮎川港の手前に清崎という区域があります。ここには昔キャンプ場がありましたが、閉鎖されてしまったようです。現在は、牡鹿交流センター(ほっとまる)という図書館やプール、トレーニングコーナーなどを備えた施設があります。洗練されたデザインの建物が印象的です。

鮎川

鮎川港の一画に「ホエールタウンおしか」の施設があります。おしかホエールランド、ビジターセンター、観光物産交流施設の3つのエリアで構成されています。 おしかホエールランドは1954年に設立された牡鹿町立鯨博物館が元となっています。2011年3月の東日本大震災により建物が全壊し休館を余儀なくされ、2020年7月にリニューアルオープンしました。

鮎川港が本県道の終点となり、そのまま県道220号に接続しています。